書籍紹介

ネタばれ注意!!5分で読める青空文庫。あらすじ要約とその感想

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5分で読める短編小説を、さらに短く簡単に。

電車の待ち時間や、ちょっとした空き時間に時間を潰せる作品を紹介していきます。

そして、私なりの読書感想を手短に綴っていきます。

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更新情報

2019-02-07 島崎藤村「朝飯」

2019-02-06 菊池寛「勝負事」

2019-02-06 菊池寛「納豆合戦」

芥川龍之介

黒衣聖母(こくいせいぼ)

青空文庫「黒衣聖母


黒衣聖母

あらすじ
とある男性が、お礼にもらった黒衣を着たマリヤ観音像にまつわる気味の悪い因縁の話を、私に聞かせることから始まります。

このマリヤ像は、「禍(わざわい)を転じて福(さいわい)とする代わりに、福を転じて禍とする、縁起の悪い聖母」とのこと。

新潟県に住む稲見という金持ちの家に、茂作という男の子がいました。この子の両親はすでに亡くなっており、姉のお栄とともに、祖母によって育てられていました。

ある日、茂作が重い麻疹(はしか)にかかり、いつ亡くなってもおかしくない容体になってしまいました。

跡取りである茂作が死んでしまうと、稲見の家は途絶えてしまいます。

そこで、祖母がお栄を連れ、土蔵の奥に祀られているマリヤ観音に、「私の命がある限り、茂作の命を守ってください」とお祈りします。

祈祷後、お栄がマリヤ観音に目を向けると、気のせいか微笑したように見えました。

次の日、茂作の様子を見に行くと、昨日よりも容体が良くなっていました。その様子を見た祖母は、看病疲れの身体を休めるために隣の部屋で横になりました。

それから1時間ほどが経ち、茂作の介抱をしていた女中が祖母を起こしに来ました。しかし、祖母は目の周りにかすかな紫の色を止めたまま身動きもせず、いっこうに起きる気配がありません。

実は、女中が祖母を起こしに来たのは、茂作の容態が一変したからだったのです。

必死に起こしても祖母は依然として目をつぶったまま。それから10分もたたないうちに茂作は息を引き取りました。

マリヤ観音は約束通り、祖母の命がある間は、茂作を殺さずに置いたのです。

このマリヤ観音像の台座には「汝の祈祷、神々の定め給う所を動かすべしと望むなかれ」と刻まれていました。

私が再びマリヤ観音に目を移すと、聖母は黒衣をまとったまま、その美しい顔に、悪意のある嘲笑(ちょうしょう)を永久に冷然と湛(たた)えていました。

感想
このマリア様、「人間のくせに、運命に逆らってんじゃねーよ」「神の御意志は絶対なんだよ」と、神様にすがりつく弱い人間の不幸を楽しむドSなブラックマリア様だと思いました。

おばあさんの願いをしっかりと叶えているのは、さすが聖母だと思いたいのですが、それは見返りがあってのこと。慈悲深さは微塵もありません。っていうか悪魔?

なんだか心は俺様。ブラック企業の社長みたいです。

おばあさんも、「命がある限り」と言っちゃうものだから、結局茂作も死んじゃうし。そこは、「命と引き換え」にした方が良かったのではと、突っ込みたくなります。

与えられた運命をどう生きるか、どう選択して進んでいくかで人生が決まります。それに気づかずに神頼みをするものだから、ブラックマリア様には人間が滑稽に見えるんだろうな。

この性格の悪いマリア様に願い事をかなえてもらうには、誠実さよりもずる賢さが必要だったのでは?

もしかしたら、おばあさんが運命を受け入れ、マリア様にお祈りしなければ、茂作が助かったのかもしれませんね。

トロッコ

青空文庫「トロッコ


トロッコ

あらすじ
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平が8歳の年だった。

良平は、トロッコで土を運搬する作業が面白く、それを見るために村外れの工事現場へ毎日足を運んだ。

土を積み、土工を乗せたトロッコは人手を借りずに山を下る。土を下ろすと今度はトロッコを押し、もと来た山の方へ登る。良平は、そんな景色を眺めていると、一度はトロッコに乗りたいと思うようになった。

二月初旬のある夕方、弟と近所の子供と工事現場へ行ってみると、トロッコの他には誰もいなかったので、3人でトロッコに乗った。

トロッコが終点に止まり、再び3人で押そうとすると、「この野郎!誰に断ってトロに触った?」と、土工に怒鳴られ、一目散に逃げだした。

それ以来、良平は人気のない工事現場でトロッコに乗ってみようと思わなかった。

それから10日ほど経ち、良平が一人で昼過ぎの工事現場に佇んでいると、若くて親しみやすそうな2人がトロッコを押してやってきた。

この人たちならば叱られないだろうと思い、土工の手伝いをすることにした。

トロッコで上り下りし、どんどん先に進んでいくと日が暮れ始めてきたため、土工に家へ帰るように言われた。

良平はあっけにとられた。土工たちはここで泊りで、自分はこの長い道のりを、暗くなる中、たった一人で歩いて帰らなければならなかったからだ。

良平は線路伝いにどんどん走り続けた。お礼にもらったお菓子も、履いていた草履も、着ていた羽織も放り出し、泣くのを我慢しながら無我夢中で走った。

竹藪の側を駆け抜けると夕焼けが消えかかり、景色が違うのも不安だった。

日が沈み、村外れの工事現場を通り過ぎ、自分の家へ駆けこんだ時、とうとう大声で泣きだした。母に身体を抱えられてもすすり上げ泣き続けた。

泣き声があまりにも大きかったため、父母や近所の人たちがその訳を尋ねたが、泣きたてるよりほかに仕方がなかった。暗くて遠い道のりを、一人で帰るのが心細かったからである。

良平は26歳の時、妻子とともに東京へ出てきた。ある雑誌社の二階で校正の仕事をしているのだが、全く何の理由もないのに、その時のことを思い出すことがある。

なぜ理由もないのに?

世の中の煩わしい苦労に疲れた彼の前には、今でもその時のように、薄暗い藪や坂のある道が細々と断続している。

感想

労働と引き換えでやっとトロッコに乗ることができたのに、気が付いたら現地解散。トロッコで村はずれの工事現場に戻るどころが、さらに帰路が遠くなっちゃった。しかも帰りは徒歩。

手伝ったこと、本人はかなり後悔したでしょうね。お駄賃のお菓子も放り投げるくらいですから。

うまく頭を使っても、やっぱり子供です。でも、8歳にしては知恵がありますよね。私ならお願いして乗せてもらっても、手伝うなんて発想は出てこないですもん。しかも、怒られなさそうな人をちゃんと選んでいるし。

幼いながら、winwinを考えて行動したのにこの結末。

ハッピーにならないのが、芥川龍之介作品なのかと思いました。

良平は大人になった今でも、不安で押しつぶされそうになる事が度々あるというオチまでついた面白いです。

江戸川乱歩

青空文庫「


江戸川乱歩作品集 107作品収録+関連作品

あらすじ

有名なピアニストの親友が、暗闇の路上で、行きずりの人間に右手首から上部を切り落とされて、私の病院に運ばれてきた。

親友が目を覚ました時、大切な指を心配していたが、彼を落胆させないために、手が無くなったことを伏せおいた。

もちろん、付き添いの看護婦にも、手首が無くなったことを知らせないように、硬く言いつけておいた。

しばらくして彼の病室を見舞ったら、やや元気を取り戻していたが、まだ右手を確認する元気はなく、手首が無くなったことに気づいていなかった。

痛みが楽になった彼は、毛布の上に出していた左手の指を、ピアノを弾くように動かし始めた。

彼が「右手の指を少し動かしたい」と言い出したので、とっさに彼の上腕の尺骨神経(しゃっこつしんけい)を指で押さえた。そこを圧迫すると、指があるような感覚を脳中枢に伝えることができるからである。

彼は「ああ、右の指は大丈夫だね。よく動くよ」と、つぶやきながら、夢中になって架空の曲を弾き続けた。

私は見るに堪えず、看護婦に彼の右腕の尺骨神経を抑えているように目顔で指示して病室を出た。

そして手術室の前を通りかかったとき、一人の看護婦がその部屋の棚を見つめて突っ立っていた。

彼女の様子は普通ではなく、顔は青ざめ、目を大きく開いて、棚の上にある何かを凝視していた。

その棚を見ると、彼の手首をアルコール漬けにした大きなガラス瓶が置いてあった。

瓶のアルコールの中で、彼の五本の指が、ピアノの鍵盤を叩く調子で動いていた。しかし、実際の動きよりもずっと小さく、幼児のように、たよりなげにしきりと動いていた。

感想

親友の執念が不可能を可能にしたという不気味なオチが、短い文章で上手く書かれています。

世にも奇妙な物語的な内容ですが、コントでコミカルに演じると、ちょっと変わった笑いを生む、面白い作品になるのではないでしょうか。

菊池寛

勝負事

青空文庫「勝負事


勝負事

あらすじ

勝負事の話題になった時、私の友達が聞かせてくれた話です。

私は、子供の時から勝負事というと、どんな些細なことでも厳しく戒められてきました。

したがって、誰でも一度は遊ぶであろう、めんこ、ねっき、ベーゴマなどというものを、触ることも禁じられていました。

「勝負事は身を滅ぼす基だから、真似してはならん」という父親の懸命な戒めがあったため、私も勝負事に憎悪したのでしょう。したがって、友達がめんこを始めると、そっとその場から逃げ帰ってきたほどでした。

私の父が、なぜ勝負事だけをこんなにも戒めたかというと、原因は婿養子であった祖父にありました。

私の家は、私が物心ついた時からずっと貧乏でしたが、維新前までは、長く庄屋を勤めた旧家でありました。

たくさんあった財産も、祖父の賭博によって使い果たされ、田畑や家財道具だけでなく、家屋敷まで手放す羽目になりました。

祖父は無一文になっても賭博を続け、ぷっつりとやめたのは、60歳を過ぎてからのことでした。

なぜやめたのかというと、祖父の道楽で、長年苦しめられた祖母が、死ぬ間際になってから、「死に際に、賭博は一切打たないと、お前さんの誓いを聞いてから死にたい」と嘆願されたからでした。

ある秋の暖かい日に、私の母が農作業をしている祖父におやつのお茶を持って行った時のことでした。

祖父の姿が見えず、「今度は、俺が勝ちだ」という祖父の笑い声が聞こえてきました。

その声を聞いた母は、きっと昔の賭博仲間にそそのかされて、何かの勝負をしているに違いないと思い、祖父を誘った相手の顔を見ようと思いました。

すると、藁堆(わらにお=刈り取った稲わらを円錐形に高く積み上げたもの)の陰で、孫と一緒に這いつくばり、抜き出した藁の長さを比べて競っていたのでした。

それを見ていた母は、祖父の道楽のために受けた色々な苦痛に対する恨みを忘れて、この時心から祖父をいとしく思ったとのことです。

祖父が最後の勝負事の相手をしていた孫が、私であることは言うまでもありません。

感想

婿養子でありながら、先祖代々の財産を食いつぶすとは、このおじいさん、なかなかパンチが効いています。

元々は他人のものだった財産なのに、それを使い果たすなんて、何しに婿に入ったんだろうと思います。よっぽど肝がすわっているのか、バカなのか・・・。

それでも、おばあさんの死に際にやっと改心したのは、やっぱり申し訳ない気持ちも少なからずあったのでしょうね。

っていうか、反省するのが遅すぎます。

でも、やっぱり孫が可愛いと見えて、晩年は一切賭け事をせず、賭博相手?が孫だけになったのは、ちょっぴり可愛らしいなと、最後にほっこりしました。

納豆合戦

青空文庫「納豆合戦


納豆合戦

あらすじ

この物語は、主人公の私が小学生のころ、納豆売りのおばあさんにいたずらをして後悔したことを告白するお話です。

私がまだ11~12歳のころ、近所の友達と学校へ行く途中、毎朝盲目のおばあさんに会いました。60歳を越したおばあさんは、貧しいのか身なりがボロボロで、可哀想な姿をしていました。

ある日、友達のガキ大将の吉公(きちこう)が、おばあさんにいたずらをすると言い出しました。

納豆は、一銭の藁苞(わらづと)と二銭の藁苞があり、吉公は一銭しか出さないのに、二銭の藁苞を引ったくりました。おばあさんは目が見えないので、二銭の藁苞を取られたことに気が付きませんでした。

学校ではこの納豆を食べず、雪合戦のように、納豆をぶつけ合う「納豆合戦」をして遊びました。

その遊びが面白く、吉公だけでなく私やその友達も、おばあさんから二銭の藁苞をだまし取るようになりました。

後で売り上げが合わないことに気づいたおばあさんは、お巡りさんに相談していたようで、ある朝、吉公がいつものようにおばあさんから納豆を騙し取ろうとしたとき、お巡りさんに見つかり、交番へ連れて行かれそうになりました。

すると、吉公は泣き出し、他の仲間もやったと言ったものですから、お巡りさんに怖い目で睨まれ、全員名前を聞かれました。

私たちは耐えられずに泣き出しました。

おばあさんはそれを可哀想に思ったのか、お巡りさんに許してあげるように頼みました。そのおばあさんの目には涙が一杯になっていました。

お巡りさんに許してもらうと、おばあさんに「もういたずらをしてはダメですよ」と言われ、私は恥ずかしさと後悔で心が一杯になりました。

このことがあってから、私たちはこのいたずらを止め、吉公も少し大人しくなりました。

私は、納豆売りのおばあさんへの恩返しのため、おばあさんの声が聞こえると、母親からもらったお金を手に、毎朝のようにおばあさんから納豆を買いました。

感想

小学校高学年の時代ってまだこんなに幼かったっけ?

ガキ大将はわかるとしても、社会的にハンデがある人をいじめるのは最低な行為です。いじめじゃなくて犯罪だと最初に気づいて欲しかったです。友達が大勢いながら、なぜ吉公に「ダメ」と言えなかったのでしょうか。

しかも、納豆合戦が面白かったからマネしてやるなんて、始末が悪い。

もしもおばあさんが元々意地悪な人で、ここで罰を受けていたら、逆恨みこそしても正しい心を取り戻せなかったかもしれません。

でも、おばあさんの心が優しいからこそ、主人公は改心できたんだと思います。

ここでは、おばあさんに対する行為に対して「恥ずかしい」「悪いことをした」という2つの気持ちしか出てきませんでしたが、納豆に対しても反省する心を持ってほしいです。

大豆を作る人の苦労、納豆に加工する人の苦労、それを売る人の苦労がある訳ですから。

国木田独歩

初恋

青空文庫「初恋


初恋

あらすじ

僕が14歳の時、僕の村に大沢先生という老人が住んでいた。

この老人は、立派な漢学者でありながら、頑固で人を理屈でやり込めるので、だれ一人相手にしなかった。

先生の家は、僕の家から三丁も離れていない山の麓にあり、40歳くらいの下男と、12歳の孫娘とたった3人で(他人から見ると)陰気で寂しそうに暮らしていた。

ある日、僕が一人で散歩をしていると、思いがけず先生の家の近くに出てしまった。何気なく向こうを見ると、あの頑固老人が松の根に座って読書をしており、その側にぼんやりとして海を眺めている孫娘がいた。孫娘は僕を見てにっこりと笑ったが、先生は僕を見るなり、いつも通りの怖い顔をして、読んでいた本を懐に入れてしまった。

僕は学校のガキ大将だけあって、たいそう生意気で、少年のくせに先生が威張るのが面白くなかった。いつか一度、あの頑固じじいをへこましてやろうと思っていた。

そこで僕は、先生が嫌いな「孟子」の教えを引き合いに出し、意地悪く口論を始めた。

すると先生は、読んでいた孟子の本を懐から出して反論したが、僕は生意気にも論じ続けた。

先生が嫌いな孟子を読むのは、孟子の考えが全て悪いわけではなく、読んで利益になるところが好きだから読んでいるのではないかと指摘をした。

それを見ていた孫娘が、先生の袖を引っ張って帰宅を促したので、先生は静かに立ち上がり「そんな生意気なことを言うものではない。利益になるかならないか、子供の頭でわかると思うか?今夜ウチへおいで。色々話して聞かすから」と言い捨てて孫娘とともに帰っていった。

この事を家に帰って父に話すと、早速謝りに行けと命令され、長者に恥をかかせたということで、説教を受けた。

その晩、僕は先生の家を初めて訪ねたのだが、別にあやまるほどの事でもなかった。先生は、親切に色々な話を聞かせてくれたので、僕は何だか急にこの老人が好きになり、自分のおじいさんのように思えてきた。

その後、僕は毎日のように先生の家を訪ねるようになった。先生と孫娘の愛子はいつも機嫌よく僕を迎えてくれるし、下男の太助はよく面白いことを言う。先生の家は陰気どころか、とても快活であった。

愛子は小学校にも行っていないせいか、世慣れをしていない何とも言えない奥ゆかしさがある可愛い少女で、老先生においてはまるで人の良いお爺さんである。

僕は一か月も大沢の家へ通ううちに、今までの生意気さが徐々になくなっていった。

先生が松の根に座って本を読んでいる間、僕と愛子は丘の頂上の岩に腰をかけて何度も夕日を見送った。

これが僕の初恋、そして最後の恋。したがって、僕が大沢と名乗る理由も分かっただろう。

感想

世の中には、本当はいい人なのに、ぶっきらぼうでとっつきにくい人がたくさんいます。大沢先生も、きっとその中の一人なのでしょう。

先生は学者なので、色々な人と沢山の意見を交換したいと思っているけれど、周りに話が合う人はいない。

たまたま「僕」が物怖じせずに考えを述べ(本当は先生をへこますつもりだったけど)、言ったことに筋が通っているから、漢学の面白さを話したくなったんでしょうね。

これは、本音と本音でぶつかり合って、関係がうまくいったパターンです。羨ましい。

結果的に、先生が縁結びの神様となって僕は初恋の相手とゴールイン。婿入りということは、よほど気に入られてのことなので、この上ない幸せを手に入れたに違いないです。

最後に、僕の幸せな顔が見えたような気がしました。

島崎藤村

「朝飯」

青空文庫「朝飯


朝飯

あらすじ

測候所に努めている僕にとって、五月は特に耐え難い。毎日仕事に追われている立場でも、蛙が旅情をそそるように鳴き出す頃になると、妙に寂しい気持ちになる。そうだ旅だ。と、五月が僕に教えるのである。

そして、色々なことを思い出すのもこの月だ。

ある日の休日、当番の同僚に事務の引継ぎを頼み、長野の測候所を出た。

自宅の庭の新緑や花を眺め、若葉の臭いを嗅ぎながら物思いにふけっていると、表の方で誰かが呼ぶ声がしたので行ってみると、旅でやつれた書生風の男が立っていた。

その男は、東京にいる親戚を尋ねるために越後の方から出てきたという。長旅で長野までたどり着いたが、途中で病気になったため、旅費を使い果たし、無一文になってしまった。脚気で足が腫れ、まともに歩けないので、情けがあるなら助けてほしいと嘆願してきた。

「実はまだ朝ご飯も食べていない次第で」と、男が言った言葉に僕は心が動かされた。

顔を上げて拝むような目をした男の様子は、身体の割には大きな頭、下あごが丸くて長く、何となく人が好さそうな雰囲気であった。茶色く日に焼け、汗が流れた痛々しい額には、落魄(らくはく=おちぶれること)と、烙印が押しあててあった。

その時、過去の悲しい思い出が、胸を突いて湧き上がってきた。僕もその男と同じように、飢えと疲れに震えたこと、目的もなくさまよい歩いたこと、恥を忘れて人の家の前に立った時に思わず涙したことを思い出した。

とりあえず僕は、男をそこへ座らせた。

困っているのはわかるが、働きもしない人間に、ただで物をあげる訳にはいかない。生きるために汗を流して手に入れたものを、ただでもらっていく方もおかしい。

そこで、男の目の前に十銭銀貨を一枚置き、

「僕の家だろうが他の家だろうが、ただ下さいと言われても、快く出す人はいないであろう。そんな方法で旅はできないと思うので、何かするなり働くなりして、それから頼んでみてはどうだろうか」と、忠告をしてやった。

こんな忠告をしたのは、僕も学生時代に困ったことや辛い目にあったことがあり、僕も男のような境遇を乗り越えてきたからである。

実際に、男の苦しい様子を見ると、同情が沸くし、泣きたい気持ちにもなる。なぜなら、本当に苦しんだ者でなければ、苦しんでいる人の気持ちは解らないからである。

「もし、君が僕の言うことを聞く気があるならば、ひとつ働いてみてはどうだろうか。君ができることで。たとえば、歌を唄うとか、お経をあげるとか、尺八を吹くとか。」

すると、「尺八なら少し触ったことがある」と、男は寂しそうに笑いながら答えたので、尺八を買うだけのお金として、先ほど出した十銭銀貨を男の手に握らせた。

男に、「僕が言ったことを守り、尺八を買わないうちに食べてしまってはいけないよ。」と念を押すと、男は「食べません、食べません。決して食べません。」と堅く誓うように答えて元気に出て行った。

施しというものは不思議なもので、施された人も幸せだろうが、施した本人はなおさら嬉しい。

僕は、飢えた人に説法を聞かせたとは思わなかったし、十銭くれてやった上に、助言もしてやった。二つ恵んでやったと考え、自分のしたことを二倍にして喜んだ。

しばらくして、水汲みから帰ってきた下女に聞くと、その男は僕の家を出ると、すぐに食堂へ入っていったという。

その時僕は、男の言葉を思い出し、「まだ朝ご飯も食べません。」と、繰り返して笑った。

おそらく、男の方でも僕の言葉を思い出し、「説法はありがたいが、朝ご飯の方がなおありがたい。」とか独り言をいいながら、その日のご飯にありついたのではないだろうか。

感想

主人公は、最初から男に施してあげるつもりだったんだと思います。

ただあげるのは面白くないので、同じ経験を持つ先輩として、説法じみたことを言ったのではないでしょうか。

最後に「朝ご飯の方がなおありがたい」と言って男が食べている所を推測しているので、食べたのは朝ご飯以外の時間帯です。

そして、約束が「朝ご飯を食べないで尺八を吹くこと」にすり替わっています。

それでも、男に親切にしてあげたことを幸せに感じている。

その辺がこの物語の面白さと言えます。

結局、男は尺八を買ったのでしょうかね。

最後に

インターネット図書館である青空文庫では、国内外問わず、著作権が切れた様々な有名文学を無料で読むことができます。作品は短編や長編、ジャンルも政治から趣味までと幅広く、著名な文学作品も徐々にそろってきています。

短時間で読めるものも沢山ありますので、電車移動や待ち合わせなど、時間の埋め合わせに読んでみてはいかがでしょうか?

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