【千葉の観光】首都要塞の名残り漂う東京湾の景勝地「富津岬」
2019/12/14
3月にしては珍しい春の温かい陽気だったので、お弁当を片手に富津岬へ足を運んでみました。
富津岬ってこんなところ
千葉県富津市の小糸川河口付近から東京湾に面して南西方向に約5kmにわたって突き出した岬です。
岬の先端まで続く富津洲(ふっつす)と呼ばれる細長い砂州(さす)と、富津平野と呼ばれる三角形の沖積平野から構成されています。
岬は富津公園の一部となっており、敷地内にはジャンボプール、野外劇場、キャンプ場、テニスコートなどの施設もあり、夏場になると多くの人で賑わいます。
明治百年記念展望塔
国道16号をひたすらまっすぐ車で進むと、富津岬に辿り着きます。
まず最初に目に入るのが、富津岬展望台(明治百年記念展望塔)です。なんだかプールの飛び込み台が連なったオブジェのような不思議な形をしていますが、「五葉松」をかたどっています。
明治百年を記念して1973年(昭和48年)に建てられた展望台は、勾配はそれほどきつくなく、階段の隙間から地面が見えることも無いので、高所恐怖症でも比較的上りやすい階段になっています。
しかし、エレベーターが無いので、足が悪い方が登るのは難しいと思います。
展望塔からの眺め
富津市内方面
富津岬先端は細長い地形のため、車を走らせていると左右に海岸線が見えます。
横須賀市内方面
島が2つあるのが解りますでしょうか?これは海堡(かいほう)と呼ばれる人工島です。
右が第1海堡、左が第2海堡です。
ちなみに海堡とは、人工的に作った島に砲台を配置した海上の要塞のことです。
富津市・富津岬から横須賀市・観音岬を結ぶ東京湾口に、首都防衛を目的として作られました。第1~第3までありましたが、現存しているのは、千葉県側の第1・第2のみです。
建設は旧陸軍省によるもので、1881年(明治14年)から1921年(大正10年)という40年の長い年月をかけて完成しました。
第一海堡
- 1881年8月起工、1890年12月完成
- 面積は約23,000m2
- 富津市に属する
第二次世界大戦後、連合国軍に中央部が破壊されています。現在は、海上保安庁によって灯台が設置されていますが、所管は財務省。無断立ち入り禁止となっています。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがあります。
第二海堡
- 1889年8月起工、1914年6月完成
- 面積は約41,000m2
- 富津市に属する
第二次世界大戦敗戦にともない、こちらも爆破処理されています。戦後は灯台が設置され、1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されています。昔は釣り人が渡航してましたが、安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止されました。
第三海堡
- 1892年8月起工、1921年完成
- 面積は約34,000m2
- 横須賀市観音崎沖にあった
3つの海堡の中で一番深い位置(水深約39m)に造成されたため、完成までに30年かかりました。しかし、関東大震災で全体の3分の1が水没してしまったため、復旧せず、廃止・除籍されました。
第三海堡は、浦賀水道航路に隣接しおり、航路として安全な水深を確保するため、2000年12月から撤去工事が進められ、2007年8月に完全撤去されました。
兵舎や弾薬庫など陸揚げされた構造物は、横須賀市浦郷町の国土交通省関東地方整備局追浜展示施設で公開されています。また、大型兵舎はうみかぜ公園に展示されています。
富士山
今回は霞みがかっていましたが、天気がいい日には、雄大な富士山を眺めることができます。
関東の富士見100景にも選ばれています。
最後に
展望台から見える歴史の島、東京湾を行き交う多くの船、空港の滑走路を思わせる半島の景色。どれをとっても印象に残りました。
今度は富士山が綺麗に見える、もっと寒い季節に足を運んでみたいと思います。